福田技工 代表プロフィール

歯科技工士からIT業界に出会うまで

私は専門学校を卒業後、歯科技工士の国家資格を取得し、歯科技工士としてキャリアをスタートしました。歯科医院に勤め入れ歯や差し歯を作っていました。1日10時間以上座った姿勢で作業を続けた結果、腰を痛めました。

それだけでなく、月給は手取り14万円ほど。昇給も微々たるもので、生活するのも一苦労でした。このままじゃ体も悪くなり生活も向上しないと思い、不動産業界へ転職しますが、待っていたのは悲惨な日々でした。

営業へ転職するも失敗に終わる

不動産会社での仕事はほぼテレアポです。1日のテレアポ件数は500件、アポが取れなければ立ちっぱなしでテレアポをさせられました。深夜に上司から居酒屋に呼び出され、夜明けまで説教を受けることが度々ありました。生きた心地がしないので1年半で退職しました。

その後、インターネット業界に足を踏み入れ、アフィリエイト広告の営業を担当しました。ただ、不動産営業の頃から感じていたことなのですが、営業活動にあまり向いていなかったのです。毎日売れない日々が続き、会社に行くのも憂鬱になっていました。

そんな中、私の席の隣には、バナー制作やプログラム開発をするエンジニアがいて。隣の芝は青く見えると言いますが、この時私もWEB制作に携わりたいと思いました。

営業からエンジニアへ。開発の楽しさに夢中になっていく

当時、プログラミングはまったくの未経験でした。それでも本気でIT業界で生きたいと考えていたので、ネットの情報を参考にしながらHTML、CSS、JavaScript、WordPressを学習しました。そこで身に付けた技術を活かして、ビックデータ収集・分析を行う会社でアルバイトを始めました。

その会社の業務で、正規表現を使いデータ整形する技術やAPIを使い様々なデータとアプリケーションを連携させる面白さをしりました。

1年後には、実務でHTMLやCSSを使ってWEBサイトを作る仕事にアサインさせてもらいました。周囲のメンバーはフロントエンドの仕事をやりたがらない中で、私はWEBサイト作りを楽しみながら作業していたことを覚えています。

WEBを作る実績も増え、誰もが知る大手アパレル会社のECサイト制作を担当させてもらいました。その結果、PC用サイトやスマホ用サイト、キャンペーンのランディングページ、業務システムダッシュボードなど、累計数千ページのコーディングを制作しフロントエンド開発の主軸を手にすることができました。

マネジメントよりもプレイヤー

私は社内での業務の中でチームをまとめたり、タスクを管理したりするよりも、自分で手を動かすほうが向いていると実感しました。エンジニアとしてやりがいを感じていたのも、お客様に直接見られるページを作ること、すなわちフロントエンジニアの仕事だったのです。

カフェやコワーキングスペースで作業していたら、いつの間にか閉店時間になっていたことが何度もあり、学生時代にゲームに夢中になっていた頃のように、のめり込んでしまうほどです。 「どうすればもっと使いやすくなるだろう?」「ボタンの位置を少し変えてみよう」などと試行錯誤を繰り返して、納得いくまで取り組みました。

世の中の課題をITで解決するため福田技工設立

その結果、制作したシステムを使っていただいたお客様から 「とても使いやすい」「毎月の面倒な作業が減った」というお言葉をいただきました。そこで私はWEBアプリケーションを作る技術によって世の中の無駄な作業を削減できることに気が付きました。

その技術をもっと多くの方に知ってもらいたい。世の中の面倒な作業を無くしていきたいという思いが強くなり、2015年に福田技工を設立しました。